大阪市の歴史と未来

大阪市民城(天守閣)も 府へ移管(没収)とは 誠に遺憾!(1)

平成の大改修を経た天守閣
平成の大改修を経た天守閣

いわゆる「都構想」が通れば、「大阪市」が廃止されて、市立の公共施設が基本的に「大阪府」に没収されてしまいます。1931年に全額市民の寄付金によって再建された大阪城天守閣もその中に含まれると聞いて、黙っているわけにはいきません。

明治維新で徳川幕府が倒れて以後、「大坂城跡」全域が新政府の軍事基地に造りかえられていき、ひきつづき市民とは縁遠い存在でした。ところが明治維新から60余年後の天守閣修復によって、画期的な変化が生じたのです。

大阪市民の”根性とプライド”が

今ではほとんど正確には知られていませんが、当時、大日本帝国陸軍第四師団によって完全占拠されていた大阪城一帯の中心部たる元の本丸(山里丸を含む)を大阪市民のための都市公園として大阪市が整備開放し、その中央に残存する巨大な天守台石垣の上に、鉄骨鉄筋コンクリート造りの大天守閣を新たに建設し、内部を市立郷土歴史資料館として活用する。これを一般市民はもとより内外の観光客に常時公開するという計画が関一(せき・はじめ)市長から発表されたとき、それは奇想天外、驚天動地の構想として大阪市民の強い賛同を得、経費全額を市民の寄付に訴えるという手法も支持されました。

それがそもそものスタートですが、そこには大阪市民の独特の反軍・反権力的な根性とプライドが隠されていたのです。(つづく

元大阪城天守閣館長 渡辺 武